前提:死が近づくと後悔もついてくる
後悔する前に感謝しよう。
状況:死にたいのに母からメッセージが届いた
SNSに投稿された文章だった。知っている人ではないが、うつ病で長く苦しんでいて、これで少し楽になりたいと言っていた。すると「娘、今日は天気がいいわね」生活費の足しにと、お金を送ってきた母親のメッセージにためらっているという内容。
'私が死んだら、お母さんはすごく悲しむでしょうか?'
多くのコメントがあったが、私にはただ詰まった溜息しか感じられなかった。
現象:子供の体が傷つくと親の罪悪感に変わる
私の実家側は、癌で亡くなった人が多い。その中でも40~50代で早く亡くなった従兄弟の兄たちがたくさんいる。働き盛りで、家長であり、15年以上勤めた会社でようやく認められるようになった彼らは、嘘のように56年の間に次々と亡くなった。
"あと5年生きられたら何も望むものはないだろう。"
ある従兄弟の兄は、亡くなる数日前に訪ねてきた私にこの言葉を繰り返していた。
そして数年後、その兄弟の長男も癌で亡くなった。
2人の息子を亡くした大伯父は、当時90歳だった。背が高く、ハンサムで、村で勉強ができる秀才として有名だった大伯父は、新聞社の記者として活躍していたが、政権の交代で全ての機会を失った後、生涯農家を営んで生きてきた恨みの多い方だった。しかし、大伯父を知って付き合ってきたその全ての時間の中で、その日、長男の葬儀場で見たその表情は今でも忘れられない。
茫然自失だった。
葬儀場ではなく、廊下にある灰色の鉄製の椅子に座っている時のその表情には何もなかった。
怖かった。もし私が事故などで先に亡くなってしまうような事態になったら、私の父や母の表情がこうなるだろうか?
ウェイトを一生懸命やっているというのに、無理やり重い重量で運動をして腰椎椎間板ヘルニアになった時、玉水駅近くの病院で診断を受けて出てきた日、母は地下鉄を待っている最中に泣き崩れた。
私の体が私の体ではないのだ。子供の体が傷つくと親の罪悪感に変わるのだ。その後6ヶ月の間、寝たきり生活を送っていた私に、この考えが刻々と突き刺さっていた。
親になっていない私が、親の気持ちなどどう分かるだろうか。ただ、見てきた両親の反応から推測するだけ。先に亡くなった子供の死を、力なく希望の少ない人生の最期に毎日向き合って生きなければならないのは、親としての最悪の状況ではないだろうかと思った。
思考:亡くなった人と残された人、みんなのための選択は現在にある
ドラマ『今、すぐに死にます』の最終回で自殺した主人公は、母親の体によみがえる。様々な事件や事故で早く死んだ以前の生まれ変わりとは異なり、主人公は母親の体で老化による死の瞬間までずっと生きていく。息子の遺体を確認する瞬間、葬儀場で息子の遺影を持って歩く瞬間よりも辛い瞬間は、痛い膝を引きずって登山をして山頂に立った時だ。最後まで生きてほしいと言っていた母親の言葉を守るために、生き続けなければならないことに気づいたからだ。
確かに生きることは容易ではない。欲望が変化を求め、その変化を現実で実現するために希望を抱き、実行に移すうちに挫折もする。そして、欲望が消えると、人生の意味までも徐々に薄れていく。この全ての過程で、一人では怖く、一緒にいた家族との意味のある時間は徐々に消えていく。ただ、そうやって生きていく。
もう一度、最初のSNSの投稿者に立ち戻ってみよう。実際、外部の他の人が話せることはなさそうだ。血肉で結ばれ、時が積み重ねた関係の中で、自分がどんな選択をするのか、その真の意味を確認するのは、亡くなった人と残された人の役目だけだからだ。
時々、人生が辛く感じることがある。そうすると、この人生の意味は何だろうかと考えることもある。
そんな時、私の結論は『とりあえず生きよう』になった。両親が亡くなり、祭祀も執り行うその時期までは、とりあえず生きよう。その後は、また別の意味のある関係で満たされているかもしれないし、思ってもみなかった人生の理由で人生がより豊かになっているかもしれない。とりあえず今日は私のおやつにコーヒーを空のカップに注ぎ、お寺に行くお母さんを車で送って。小さく小さな瞬間々に集中しようと思い、実行する。
そうしているうちに、ああ、私、それでも本当にたくさんの愛情を受けて生きてきたなと思える瞬間も来るだろうと思う。
今、私を笑わせてくれる人、傍に当然のようにいてくれる人に、どんな笑顔をプレゼントできるだろうか。
天気が良い日曜日にふさわしい悩みではないだろうか。今日は幸せになる選択を提案します。
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