前提:誰のための関心か
"関心とは、すなわち自分以外の他者に心の場所を譲るということです。
自分の時間、自分の生活を少し分け与えることです。
"ソン・ジョンリム
状況:朝鮮時代に生まれたら、文武両道を備えた人材だっただろう。
確かに、私に向けた本人の考えや質問は耳に届く。しかし、その後のおしゃべりが期待できない。単に唐突に経験する空虚な表現だ。たまに参加する集まりで、主に会話の中心になることを望む人たちは、しばしばこのように、自分に注目してもらうための『早い』関心を示す。関心を引くために、関心があると思い込んでいる質問をする人に期待できる関係は、結局のところ孤独だけである可能性が高い。だから、私は会話の脈絡とは関係なく、このような表現をする人々を警戒する。
"でも、なんで私の話は聞かないの?"
現象:関心は、見守る態度から確認される。
関心は、『遅い』視線と期待から生まれる。そして、その目的は『理解』しようとする試みに達している。さらに、理解しようとする意図は、相手への尊重を基盤とする。少しでも理解できるだろうかという、自分自身への問いが、それを可能にする。
相手の立場から確認する粘り強い余裕
最初の取材で訪れたのは、インサイダー(内部告発者)が住む家だった。確かに、会うことが決まって、数時間かけて車で移動し、約束の時間に合わせ訪れたが、いざ到着すると、連絡が取れなかった。近くに住んでいるという確信はあったが、約束の場所に現れていないという事実は、結局のところ、気が変わった可能性が高いように見えた。
一緒に来た先輩は、当惑して怒った。そして、周りの路地をくまなく歩き、約束の相手の名前を叫んだ。そうして、約10分間、叫び声が続いた。結局、先輩は諦めたのか、『行こう』と吐き捨て、車へと足を向けた。そして、私は5分だけ待った後、電話をもう1回だけかけてみて、それでも出なければ帰ろうと提案した。先輩は、感情も落ち着かせつつ、スーパーの前に立って、落ち着いて待つようになった。5分後、その人は電話に出た。
実際、取材に応じた後、最も不安だったのは、その人だっただろう。万一、顔や声を隠したとしても、関係の脈絡上、自分の正体が明らかにならないか、怖かっただろう。取材は一時的なものだが、その後、その人の生活にどれほど継続的に影響を与えるのか、誰も知らないし、責任を取ってくれないという事実。その人は知っていて、取材陣は関心がなかった。そんな人に、先輩が作った10分間の騒ぎは、どれほど良心を突き刺す瞬間だっただろうか。ほとんどの人は、承諾前に予想していたことであり、いざその瞬間に直面すると、固まってしまった可能性が高い。だから、沈黙は単なる拒否である可能性もあるが、少しの躊躇である可能性も高そうに見えた。
全体の取材の日程と脈絡を知っている先輩にとっては、取材の成功が最も重要だっただろう。新米だった私にとっては、ただその時のその人の当惑がより強く伝わってきただけだった。
だから、そもそもなぜ取材に応じたのかを落ち着いて確認できる5分を提案するのが適切に見えた。
思考:普段どんな様子なのか、気になっているのか
日常の中で最も自然な姿を観察しようと努力する現場調査の方法論のためか、私に向けた誰かの『早い』関心の裏に隠された意図が何かをまず質問する自分を見つけることがある。すると、人をあまり信用していないのではないかという質問を度々受けたりもするが、そのおかげで、関係において以前の私よりも少し淡々と相手と接し、少しは効果的に関係における不必要なエネルギー消費を防ぐことができるようになった。
そのような理由で、私にとって関心とはすなわちエネルギーであり、生命力だ。視線はゆっくりと、判断と評価は一番最後に遅らせること。このシンプルそうに見えるが明確な実践の基準は、生きていく中で私が習得した数少ない成長の結晶のようなものだ。
野良猫や大型犬と仲良くなる方法は、近くに留まることだ。
目が合っても、安心した状態を確認するまで、少しずつ長く留まったり近づいたりするだけだ。関心があるからこそ、見つめる態度で関心を示すこと。その密かな主導的な効果を、一度体験してみてください。
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